池松です。 あの情報アウトプットのスタイルはキライと言えるけど「こう使えばいい」と言えないヒトは多いものです。年間50件の社会人向けワークショップをして解かるのは「なんとなくキライ」は言えるけど、その理由を言語化して自分のスタンスを明確に伝えられる人は極めて少ないことが分かります。情報発信は大事だとわかっているけど、それを体系的に語られることは少ないのに通じています。情報アウトプットを体系的に説明できる情報発信学の必要性がますます高まっていると感じています。
情報発信学とは、自分の仕事や興味関心のためにSNSを使ってどのように情報発信していくのかを体系的に学ぶことです 。世の中にはインフルエンサーやライターのためのスキルを教えてくれる場所は沢山あるのですが、自分の仕事やゴール戦略のためにどう使うか教えてくれるところはありません。SNSに振り回されたり踊らされたりしないで自分のゴール戦略にあった使い方を教えてくれる所はなかなか無いのです。と言うわけでSNSコーチングをはじめました。おかげさまで好評をいただいています。これからもSNS圏外の方へも役立つ情報をお届けできるように頑張りたいと思っていますのでよろしくおねがいします。
※情報発信学ニュースレターは毎週ほぼ月曜日にEメールでお届けしています。
衆愚とは・・・
「多くのおろか者」のことです。衆愚政治という風に言えばわかりやすいかもしれません。
衆愚政治とは・・・失敗した民主政を揶揄して用いられた蔑称。教養の無い貧民が政治を支配した結果、失政を重ねていくとされました。ポピュリズムとも呼ばれています。SNSによるデジタル・ポピュリズムについても問題視されています。
有権者の大半が知的訓練を仮に受けていても、適切なリーダーシップが欠如していたり、判断力が不十分な人間に参政権が付与されている状況。その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな政策が実行される状況を指す。 判断力が不十分な市民が意思決定に参加することで、議論が停滞したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定を行い、誤った政策執行に至る場合などを指す。
衆愚SNSとは・・・
誹謗中傷、月収自慢、フォロワー数獲得ハウツーなど、リアルでのコミュニケーションでは使わない用語やスタイルの情報アウトプットのこと。またはその情報アウトプットから生じるコミュニケーション空間について。悪貨は良貨を駆逐するように、悪情報は良情報を駆逐する傾向があります。
悪貨は良貨を駆逐するとは・・・一つの社会で名目上の価値が等しく、実質上の価値が異なる貨幣が同時に流通すると、良貨はしまい込まれて市場から姿を消し、悪貨だけが流通するという「グレシャムの法則」のこと。転じて、悪がはびこると善が滅びるというたとえにも使われる。
ここで難しいのは何を基準に良情報と判断するかです。明確な基準は難しく個々人の判断によって変わります。つまり個人の判断する「基軸」が大事になります。その基軸とは知識・良識・見識から構成されるのですが、思考様式の多様化で、この辺が単純に論ずるのが難しくなっています。美意識や倫理観、道徳観などロジカルには論じきれない領域にまで広がっているからでしょう。
あのヒトのSNSはキライと言えるけど「こう使えばいい」は言えない3つの理由
理由1:モヤモヤして「嫌な感じ」を言語化できない
理由2:炎上や身バレへの恐怖
理由3:所詮ネットはバカと暇人の巣窟なので論ずるに値しない
衆愚SNSに向き合う方法
「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」山口周・著に書かれていますが、グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補を送り込んだり、ニューヨークやロンドンの知的専門職が早朝のギャラリートークに参加するのは 極めて功利的な目的で「美意識」を鍛えているわけです。これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできないということをよくわかっているからです。 つまりこの混沌とした衆愚SNSの世界に向き合うには「美意識」や「道徳観」「倫理観」を鍛えることで、知識・良識・見識を高めて自分の判断の「軸」を育まねばなりません。ハック全盛時代にそぐわない「急がば回れ」が必要になっていると感じます。
急に美意識を鍛えるのは難しいが、スタンスを取ることはできる
どうすればいいかサマると以下の3点になると感じています。どれも数値化しにくいので難しいと感じるかもしれませんが、そもそもそんな簡単なハナシではないのである種のジレンマが生じます。それは「コレさえ押さえればOK」という思考様式とは違うからでしょう。
1:目的やゴールイメージを持ってつかう
※まずは唯我独尊にならずケーススタディから学ぶ
2:数より顔を見る/見えるコミュニケーションをする
※フォロワー数・いいね数よりも誰に読まれているか「顔」を意識する
3:量だけでもない。質だけでもない。
※コミュニケーションの質とスケールが重なる部分を追求する
SNSは所詮ツール、されどツール
・情報大爆発で発見されない日が続く「死の谷」はまだ続く。
誰もが情報発信できる「情報の民主化」は情報大爆発を起こしています。情報が多すぎて「何を良い」と判断できないので「誰が書いた」のかで「良し悪し」を判断するヒトが過半数を超えています。ここにSNSアルゴリズムによる「いいね数」や「フォロワー数」が多い方が表示が増えると、ますます「何が」よりも「誰が」が重視されます。しばらく「誰が書いたのか」が「何を書いたのか」より重視される時代が続くでしょう。
・「コレ誰が書いたの?」を書き続ける
自分が求めている「情報の発見性」はAIなどが進むと解決されるのかもしれませんが、誰もが確信を持てません。そこで唯一確かな方法は「コレ誰が書いたの?」と感じてシェアしてもらう情報アウトプットをし続けることだと思います。コレは「単に良いコンテンツを作ればいい」というわけではなくて、新読者(自分のファン)との関係を築き続ける努力をするということだと思います。
・Bzはいつ聞いてもBz。同じことを100通り書き続ける。
「コレ誰が書いたの?」は、同じことを100通り書き続けることでしょう。乱暴に例えるなら、Bzの曲は、いつ聞いてもBzだとわかるように、誰が聞いても「ああBzだな」と思ってもらえる事です。もちろんただ独りよがりに100通りに書くのではなく、読んでもらえる情報アウトプットをすることだと思います。難しいですが。拠り所となる数少ない方法だと思います。
衆愚SNSに対して自分の判断基準を育み、スタンスを取ることで、SNSを上手に使えるようになりたいものです。私自身ももっと言語化・図解化を続けることで、みなさんの役にたてるように精進したいと思います。
20回目を迎えることができました。読んで頂きありがとうございます。ではまた来週お会いしましょう。
池松潤(いけまつ じゅん)
恋愛小説家/ サイボウズ式第2編集部 / アウトプットLAB 情報発信学 SNSコーチング ※最新情報・メディア・イベントなど詳しくは ⇒ コチラ